スエズ運河を保護する

アメリカが、イギリス、フランスの強硬政策とは別な、やや宥和的な政策に踏み切ったのでイギリスとフランスは国際的に孤立してゆくと同時に、互いの結合を深めて行き、この問題を安保理事会に提訴するとともにエジプトに対する軍事的圧力を強めていった。

安保理事会は公開会議と非公開会議を巧みに混合してエジプトと英仏の間を調停するのに努め、10月半ばになってスエズ運河の利用に関する6つの原則について関係国の意見の一致が成立した。しかし運河を「国際管理」する案はソ連の拒否権によって葬られた。

10月29日、イスラエル軍は怒濤のようにエジプトのシナイ半島に侵攻して行き、第二次中東戦争の幕が切って落とされた。その報を受けるや否やアメリカは直ちに安保理事会において「エジプトに対するイスラエルの軍事行動の即時停止」を求めた。

ハマショルド事務総長はイスラエルが休戦協定と国連決議に違反してエジプトに侵攻したという現地の国連休戦監視団からの報告を理事会で発表した。これと殆ど時を同じくしてイギリスとフランスはエジプト、イスラエル両国に対して、21時間の期限つきで最後通牒をつきつけ、停戦に同意しない場合には介入すると脅した。

介入の表向きの理由はスエズ運河を保護するということだった。エジプトは理事会で英仏の行動が侵略行為であると非難し、アメリカはイスラエル軍の撤退を求めるとともに武力の行使に反対するという決議案を提出した。ソ連を含む理事会の多数はアメリカ決議案に賛成したが、それはイギリスとフランスの拒否権によって葬られてしまった。

そこで直ちに安保理事会はユーゴスラビアの音頭とりで「平和のための結集」決議に従って緊急特別総会を招集することに決めた。6年前、朝鮮戦争の始まった年に「平和のための結集」決議が憲章違反だといって極力反対したソ連がこの時にはユーゴ案に賛成したのは国際政局の変転きわまりない展開を忍ばせて興味深い。

翌日招集された緊急特別総会にはイギリス、フランス、イスラエル3国の軍事行動に対する多くの国の激しい怒りがみなぎっていた。即時停戦と撤退を要求するアメリカ決議案が64対5、棄権6で通過した時には11月1日の真夜中を既に過ぎていた。

インドを中心としてアジア、アフリカ諸国がこぞって平和を守りエジプトの独立を擁護するため立ち上がったのも、この時であった。3日後にはインドその他アジア、アフリカ18ヵ国の停戦決議案がアメリカ案の後を追って採択され、停戦と撤退への国連の固い決意を示した。

— posted by Arquite at 08:31 pm