国連軍の警戒線を破る

国連緊急軍は、二、三日のうちに組織されて、イタリアのナポリ空港に集結し、エジプトへの発進命令を待つばかりだった。やがて、ハマショルドとエジプト政府との交渉が成立し、一一月一五日には先進部隊がエジプトに到着した。国連緊急軍がつぎつぎと到着するにつれ、英仏イスラエル三軍は逐次エジプトを撤退していった。英仏軍の撤退は二一月までに完了したが、イスラエル軍は国連のたびたびの非難にもかかわらず、翌年三月になってやっとエジプト領土から撤退を完了した。


国連緊急軍には二四ヵ国が具体的な協力を申し出た。そのうちブラジル、カナダ、つロンビア、デンマーク、フィンランド、インド、インドネシア、ノルウェー、スウェーデン、ユーゴスラビアの一〇ヵ国からの約六〇〇〇人の派遣部隊が、国連緊急軍を構成した。英仏はもちろんのこと、ソ連軍やアメリカ軍の国連軍参加は、大国の利害を導入することになるから避けるべきだというのが一致した意見だったから、国連軍は中小国からだけで構成された。


また、スエズの国連緊急軍は、朝鮮戦争のときの国連軍が事実上アメリカの指揮下にあったのと違い、国連総会が直接これを結成したし、指揮官も総会が任命した。国連軍に対する具体的な指示や命令は、事務総長が自ら行い、七力国からなる諮問委員会がかれに助言することになった。事務総長に対する国連加盟国の絶大な信頼があってはじめて、こうした権限の大幅委譲が行われたのだといえよう。スエズに派遣された国連緊急軍は、戦闘目的ないし能力をもった軍隊ではなかった。それは軍隊よりも、むしろ警察に近いものだった。また、エジプトはもちろんのこと、この問題に関係した国すべての同意を前提として受けいれられた軍隊であるから、撤退をこばむ軍隊を武力で排除するなどということは、その権限外である。


そして「自己防衛」に絶対必要なときだけ武器の行使が許された。国連軍はイスラエルーエジプト国境のエジプト側に配置されたが、イスラエルが国境の自国側への駐留を拒否したので、イスラエル側には配置されなかった。この国連緊急軍は、いわば大通りに面したガラスのシJIウ七ンドーのようなものであり、それを壊そうと思うものがいれば容易に壊せるのだが、あまり大きな音がして周囲のものがみんなそれに気づいてしまうので、壊すだけの決心をするものがめったにでてこないのだった。国連軍の警戒線を破るのはたやすいが、そうすると、世界中から集中的な非難と攻撃を浴びせかけられ、その国は大いに不利になるのを覚悟しなければならない。



— posted by wgft at 08:37 pm