国連の平和機構としての声価

また、国連軍はエジプトの同意があってはじめて派遣されたし、エジプト側の了解によると、その要請があった時には撤退しなければならないことになっていた。つまり、受入れ国の主権の尊重を前提にしているのである。だから二九六七年、エジプト政府が国連軍の撤退を要求しだときヽ国連事務総長はこれを拒否することができなかった。国連軍は構成においても、エジプトの希望を入れ、バクダッド条約機構に入っているパキスタンの軍隊などは、除外された。


また、国連軍は厳正に中立を守り、エジプトとイスラエルの紛争や、そのほかの政治問題に一切影響を与えてはならないことになった。これは、イギリスとフランスが国連軍の任務に政治的な意味をもたせ、自国軍隊が撤退してからの事態を有利なものにしようと画策したのに対し、国連多数国の要望をになったハマシィルドが、国連軍が侵略した国を利し、エジプトに政治的圧力を加える手段として利用されるのを断乎として拒否したからだった。つまり、国連軍は、侵略が行われる以前の状態に政治的バランスをもどすという、いわば静止的な役割を与えられたのである。その主な任務は休戦ラインを守ることにあり、紛争の根本的な解決は、別個の政治的、外交的次元の問題とされた。


第二次中東戦争では、イギリスとフランスが弱小国子『フトを軍事的にこらしめる政策に出だのに対して、アメリカとソ連は、ともに侵略防止の立場からこれに反対し、戦乱の拡大を避けることを望んだ。スエズ国連緊急軍が成功裡に結成され、その任務を果しえたのは、超大国米ソがともに、アジア、アフリカ諸国の平和を求める声を支持し、国連内に意見の大きな一致があったためだった。とくに、アメリカは国連を通じて積極的に事態を収拾する道を探った。


イギリスとフランスを停戦にふみきらせたものは、現象的には国連に結集された国際世論の広範な盛りあがりだったが、その背後には、アメリカが加えた経済制裁と第六艦隊による軍事的圧力があり、またイギリス連邦に属するインド、セイロンなどが連邦からの離脱をほのめかしたこと、イギリス労働党や民衆が一致してスエズ戦争に反対し、保守党の一部も停戦賛成派にまわったことなどがあった。


ソ連は、ブルガーニン書簡を発表し、ロケットによる英仏軍への攻撃を示唆しておひやかしたが、これに待つまでもなく、英仏両政府はすでに内外ともに完全な孤立に追いつめられていた。ピアソン外相が国連軍を提唱したことは、英仏にとってはまさに「渡りに舟」たった。第二次中東戦争を契機として、国連の平和機構としての声価は、きわめて高くなり、アジア、アフリカやスカンジナビア諸国は、大国の独善的な軍事外交に対する砦として、国連を強化することを誓いあい、希望をこめて新しい国際協力の時代が到来したことを語りはじめたのだった。




— posted by wgft at 08:39 pm