滑稽な「ウサギ小屋」

経済の本はわかりにくく、面白くないという社会通念があることを、かねてから私は残念に思っている。そうした社会通念に挑戦してみたいという気持ちから、この本はできるだけやさしく、できるだけ面白く書こうと心がけたけれども、それが成功したか否かは、読者が判断されることだろう。しかしその中身は、専門家の間での了解事項を、一般読者向けにやさしく解説するといったたぐいの入門書では、けっしてない。むしろ、この本の主張の多くは、通説とは相容れない。しばしば意表をつくであろうこの本の主張が、はたして読者をどれだけ説得できるか、著者として自信があるわけではない。ただ、「ほんとうに重要なことは、本には書いてない」というのが、つね日ごろ私の口癖である。


ひとたび固定観念を捨て、古びた抽象語で考えることを止めて、好奇の目で身のまわりを具体的に観察しさえすれば、多くの物事はずいぶんちがった形をしてみえるだろうという点だけは、ぜひともここで指摘しておきたい気がする。早い話が、「すでに日本は豊かだ」ということ自体、世の常識に反するかもしれない。そこで私の話は、まずその点から始めなければならないだろう。すなわち、日本人はけっして「ウサギ小屋」に住んでいるわけではない。そして、日本人はとくに異常な「仕事気ちがい」だというわけでもない。


EC(ヨーロッパ共同体)委員会は、日本人のことを「ウサギ小屋に住む仕事気ちがい」と評した。「仕事気ちがい」のことは後にゆずって、まず「ウサギ小屋」のことを考えてみよう。欧米諸国とくらべて、日本の住宅事情がきわめて劣悪だというのは、常識である。いまこの常識が正しいものと仮定しよう。EC委員会が「ウサギ小屋」論をいったとき、日本人の中には、「それみたことか」と快哉を叫んだ人がかなりいる。住宅について議論するとき、必ずこのことばが使われるようになった。多くの日本人は、「ウサギ小屋」論がまさに真実だと考えたのである。


たまたま私は、昭和五十四年六月に開かれた東京サミットの直後、友人の新聞記者に会った。「サミットはどうでしたが?」と尋ねたところ、「やってよかった」と彼は答えた。「フランスのジスカールデスタン大統領は、東京をみて、ウサギ小屋ではないなといったそうです。どうやら氏は、香港の貧民のようなところを想像していたらしい。その誤解を正しただけでも、東京でサミットを開いた甲斐があった。


— posted by wgft at 02:41 pm