交通犯罪の実情

わが国でマイカー時代の幕が開けたのは、日産自動車がダットサンブルーバードの発売を開始した一九五九年だと言われている。しかし、この年は交通事故による死者がはじめて一万人の大台に乗った年でもあった。その後、交通事故による死者は、マイカーの普及に歩調を合わせるように増加し続け、一九七〇年には一万六七六五人と。史上最悪の数を記録するに至った。原則として事故発生後二四時間以内の死者の数を用いる。

このような事態に危機感を強めた政府は、一九七〇年に交通安全対策基本法を制定し、一九七一年度から七五年度までを計画期間とする第一次交通安全基本計画を策定した。これらの対策が功を奏したのか、死者の数は一九七一年以降急速に減少し、一九七六年には一万人を割り、一九七九年には八四六六人と、ほぼ一九五八年の水準にまで減少した。

しかしこれは一時的な現象にしかすぎなかった。一九八〇年から死者の数は再び上昇し始め、一九八八年には再度一万人の線を超え。それ以降、一万人を超えたままである。さらに負傷者数や事故件数の動きを見ると、底であった一九七七年以降、どちらも着実なペースで増加し続けているし、事故後一年以内の死者になるとその数はいまだに一万四〇〇〇人を超えている。少なくとも「数」から見るかぎり、我々の社会の交通事故は、四〇年近くも死者一万人以上であったという点で、きわめて日常的な出来事になってしまっている。

ただし一九九六年の死者は九九四二人と九年振りに一万人を下回った。言うまでもないことだが、交通事故というのは、誰かが交通規則を破ったために起こる「犯罪」であって、地震や台風のような自然現象がもとで生じる事故ではない。しかし、地震や風水害で人々が生命を失うことには敏感であっても、交通事故で多くの生命が失われることに対して、我々はほとんど無関心である。我々の社会は交通事故に対して驚くほど鈍感、さらに言えば寛大でさえある。我々の社会は交通犯罪を正常な事象として内包してしまっている。どうしてなのだろうか。このような鈍感さ、寛大さは。社会のあり方としては、事故の数が多いということ以上に常軌を逸した事態だと言わなければならないのではないか。しかし人々は交通事故に慣れきってしまい、この事態の異常さにほとんど気付かない。どうしてなのだろうか。

交通事故のすべてが厳密な意味での「犯罪」だというわけではない。では、現に発生している交通事故のうち、どれだけが犯罪なのだろうか。しかし、それを示すような統計は存在しない。そこで、業務上過失致死傷罪で検挙された件数を犯罪の数だとみなせば、交通事故のほぼ九割が犯罪だということになるし、車両単独ではなく、人対車両、車両対車両の事故を(それらには加害者と被害者とが存在するはずだから)犯罪だとすれば、これも交通事故全体の九〇~九五%を占めることになる。交通事故のほとんどすべてが犯罪なのだと言っても、決して過言ではないのである。

我々の社会では、犯罪を犯した人は何らかの責任を取らなければならない決まりになっている。交通犯罪の場合、その責任はどのようなものなのだろうか。車が普及している現在では周知のことだと言ってょいのだろうが。それは、行政上の責任、刑事上の責任、民事上の責任(損害賠償)の三つである。


— posted by wgft at 10:22 am