石油パニックが世界を覆う

アメリカ軍のベトナムからの撤退は、中国との外交関係ではプラスに作用したが、中東の情勢ではマイナスに作用した。1973年10月、エジプト軍は、イスラエル軍が占領したまま居すわっていた自国の領土奪還をめざして、突如として行動を起こした。第四次中東戦争が始まった。従来とは違って、開戦直後にアラブ産油国は、イスラエル支持国に対する原油の供給を削減する用意があると声明し、続いて12月末には、アラビア軽質原油の場合、公示価額をその年1月の4倍をこえる11.65ドルに引き上げた。


それまでは、原油の公示価額の変動については、産油国と外国石油会社とメジャーとの協議によって決定されていたのだが、産油国はその協議を不要とし、メジャーは押し切られてしまった。アラブ諸国はアメリカの足下を見ていたのだろう。従来なら、アラブ諸国がそんなことをしたら、アメリカが航空母艦と海兵隊をかかえる揚陸艦とを派遣して軍事的圧力を加える可能性を考えなければならなかった。


しかし、アメリカ人はベトナム戦争での敗北で海外派兵にこりごりしており、その可能性はないと、アラブ諸国は判断したのであろう。実際、1956年にエジプトがスエズ運河の国有化を宣言した時には、英仏連合軍がスエズ運河に進駐したのであった。その17年後の1973年には、むろんアメリカは一兵も動かすことが出来なかった。


石油パニックが世界を覆った。アメリカは依然として世界有数の産油国ではあったが、石油の消費の伸びが生産を上回り、すでに世界有数の原油輸入国に変わっていた。アメリカでは、この年の末、各ガソリンスタンドに自動車の長い行列が出来た。ドライバーは初めて、アメリカの大型車の燃料消費量の多さに気づいた。がりになじみのスタンドで、ガソリンを満タンに出来ても、週末のレジャーに遠出をしたら、帰りのガソリンをはたして調達できるかどうか、不安になった。燃料消費量の少ない日本の小型車が、真剣に注目されるようになった。


— posted by wgft at 10:19 am