宗教が人間を『遺伝子の呪縛』から解き放った

「古事記」に見るような八百万の神々であれ西欧の唯一絶対の神であれ、宗教が文化と文明を生んだことは疑いがない。これは古代文明の荘厳な神殿の数々や、そこに描かれた宗教画を見ればわかる。だが、こうした表面的な現象よりももっと内面で、宗教が人類の文明に果たした役割の重要さにどうも宗教学者は気づいていないようである。

それは、「宗教が自由を生んだ」ということである。日本人の多くは宗教というと戒律を思い浮かべる。戒律は人を束縛する不自由なものだ、というのが一般的な感覚である。だが、それは誤りだ。宗教の戒律こそが人間を「遺伝子の呪縛」から解き放って、人間に「自由」を与えたものなのである。

イスラム教徒はイスラム暦の第九月のラマダーン月に断食をする。これは夜明けから日没までの間、いっさいの飲食を断ち、慎み深い生活を送ることである。断食と聞くと日本人はイスラムの人々は不自由だな、われわれは腹が減ったら食い、のどが渇いたらいつでも飲める。

むろん、トンカツであろうとラーメンであろうとコーヒーであろうと好きなものを食べることができるし、飲むことができる。だから、われわれは自由だ、とついこう考えてしまうのである。

たしかに、トンカツであろうとラーメンであろうと自由に選択でき、コーヒーだろうとコーラだろうと自由に飲むことができる。だが、それらの行為は裏から見れば、「腹が減ったら食え」「のどか渇いたら飲め」という遺伝子の命令に呪縛された不自由な行為でもあるのである。これはチンパンジーを見ればわかる。チンパンジーもまた腹が減ったら食い、のどか渇いたら「自由に」飲んでいる。

むろん、チンパンジーは果物を食べるか他のサルを襲って食べるかの「自由」も持っている。むろんこのことは、セックスや愛や攻撃性にも当てはまる。フリーセックスは裏から見れば「乱交せよ」という遺伝子の命令に忠実に従っていることであるし、近親者を愛し敵を憎むのは自然の感情である。チンパンジーは右の頬を引っかかれたら必ず反撃するか逃げるかする。左の頬を差し出すことなどありえない。「攻撃されたら逃げるか反撃せよ」というのが遺伝子の命令だからである。

だから、セックスに対してじつに禁欲的で、汝の敵を愛せと言い、右の頬を打たれたら左の頬を出せ、と説いたイエスの教えは、人間に「遺伝子の呪縛から自覚的に自由になれ」と教えた精神の大革命だったのである。遺伝子の呪縛から自由になることではじめて、人間は文化と文明を発達させることができたからである。

むろん、宗教の戒律は遺伝子の命令による呪縛とポジとネガの関係にあるから、逆にそれが人間にとっての栓枯ともなるのだが、戒律によって遺伝子の呪縛を自覚的に切断する行為がなければ人類が文化と文明を発展させることはありえなかったことだけはたしかである。

チンパンジーは断食することもセックスを禁欲することも左の頬を差し出すこともありえない。それゆえ、地球がSF映画の「猿の惑星」となることもないのである。チンパンジーは「遺伝子の呪縛」からの自由を得られないがゆえに、チンパンジーが文明を発達させてわれわれ人類を打倒する、ということにはならないからである。


— posted by wgft at 09:23 am