その不当な批判に、日本が屈したことを端的に象徴するのが、有名な「前川リポート」である。同リポートが発表されたのは、一九八六年四月であった。その趣旨を私流の言葉で要約すれば、ほぽ次のとおりだろう。
すなわち、「これまで(つまり『前川リポート』まで)日本は、『内需拡大』と『市場開放』とをサボつて巨額の貿易黒字を出し、アメリカはじめ諸外国に多大の迷惑をかけて、まことに申し訳なかった。しかし、日本はここで(つまり『前川リポート』を機に)悔い改めた。今後日本は、誠心誠意『内需拡大』と『市場開放』に努力して、必ず貿易黒字減らしをするから、勘弁して下さい」と。
しかし、黒字減らしのリポートであるにもかかわらず、そこには数字はほとんど書かれず、同リポートは抽象論に終始していた。近年のように「数値目標」を書くか書かないかが、交渉の大きな争点になるようなことは当時はなかったから、数字が書いてないことは読者に疑問を感じさせた。ところが、当時の日本の新聞は、その理由を次のように「解説」した。
つまり、「前川委員長は、数字を書きたくて書きたくて仕方がなかったのだが、それで手足を縛られることを嫌った各省庁が猛反対して、前川氏に数字を書かせなかったのだ。そのことに、前川氏は切歯掘腕している」と。
役人とは、しばしば指摘されるように、そういう姑息なことをやりたがる存在であることを考えると、それはまことにありそうな話なので、読者の多くは納得したかもしれないが、私に言わせれば、この「解説」は真っ赤なウソだった。「前川リポート」が数字を書かず、抽象論に終始したのは、実は、数字を書こうにも書きようがなかったためである。私かそう考えたのは、当時私が行った素朴きわまる目の子算の結果である。その計算の概要を、次に説明しよう。