ところで国内線の飛行機にはビジネスシートなる一等席がある。ファーストクラスがあるのだから、ビジネスは二等席か。ともあれエコノミーのバタリーよりは多少は広い。先に書いたラウンジと同様、経済的な貧困とはまた別種の独特の貧乏臭を放っている座席だが、さて、かのニュースキャスター様はビジネス、エコノミー、どちらの座席で沖縄にいらっしゃるのだろか。べつにニュースキャスターだけでなく、この駄文を書いている小説家某も飛行機に乗って沖縄に行く。以前は主目的として人買い、女を買いに出かけたのだが、最近はそれにも飽き果てて「道を歩いていれば、絶対に見向きもしないような娘さんを、金を払ったがゆえに努力して努力する。これ即ち女の又の力と書いて努力じゃああ。つまり私、異性に対する好き嫌いをなくす修行を続けてまいりましたが、過日ついにその修行も終えました。もはや拙者、免許皆伝でござる」などと傲慢なことをほざいている次第です。
沖縄における人買いは、実は最重要といっていいテーマであるから、また別の機会に詳述することとしますが、私がとても気になるのは、沖縄を愛する文化人の方々、それもある程度の経済力があり、尚且つある程度名の知れた方々は、飛行機なる途中下車さえ満足にできない貧乏な乗り物の貧乏な空港の貧乏なIフウンジで無料で供されるソフトなるドリンクを獣琳してビジネスシートなる意味不明な二等席に座って琉球入りなさるのであろうか、ということなのです。もちろん自分の金、あるいは出版社などの紐付きでビジネスシートに座るのは法的にはなんら問題はない。ケチのつけようがない。けれど倫理的に、いや感情的に問題がある。少なくとも私にとっては、そうである。せめて偉そうな御託宣をたれる前にさりげなく、あるいは居直り気味に明かして慾しいのだ。エコノミー、ビジネス、どちらで沖縄入りするのかを。
私は楽をしたいから殆どの場合、自腹でビジネスに座る。もちろん出版社が出してくれるというなら突っ張らずに世話になる。こんな精神的に貧乏な座席に座っていて、沖縄の底辺あれやこれやなど書く資格がないよな、という自覚のもとに、エコノミーに座る有象無象を目で見て「ああ、五月蝿そうだ、心は貧乏なれど、こっちに座って正解正解」などと胸中で呟いてシートを倒し、沖縄県は那覇空港に降り立つ。問題にしているのは、無意識のうちに、当然のようにビジネスシートに座って沖縄入りして、庶民について語るといったうそ寒いことをしていないか? ということだ。文化人と称する貴方は、いったいどれくらいの羞恥心をもっていらっしゃるのか?ということである。
私はナイーブすぎるのだろうか。無様だろうか。私だって高みから見下ろしてあれやこれやを語りたい。けれど所詮は中卒、肉体労働以外に職業選択の自由がなかった哀れな自尊心である。つまり見おろされる側が長かったので、文章などを書いてチヤホヤされるようになっても、なかなか自然に世界を俯瞰することができないのだ。ゆえに、この文章を書くにあたって偽悪を意識することとした。美文名文の類はもとより薄味悪い。かといって露悪にまで陥るのも精神的安定を欠いている証左にすぎず、それではせめて偽善を排除しましょうというあたりでまとめあげていくことに決めた。実際にここらあたりまできたら、ですます調にも綻びが見えて、文体が変化してしまった。ま、この程ということなのだ。ひょっとしたら、私がこういったことをいくら認めてもごラウンジ?ビジネス?それがうしたの?訳が分からん!という方がいるかもしれない。それはそれでいっそ清々しいのである。
問題は一読、即座に理解できてしまう輩である。頭だけで理解できてしまうと補足すべきかもしれないが、頭の程良い人はバカと同様に始末におえないのだ。頭の程良い人ときたら、眉間に縦皺を刻んで、どんなに口を酸っぱくして指摘しても、自分が小賢しい阿呆であることに気付かないのだから。沖縄はとてもいいところだ。でも、住んでいる人間は、そうでもない。東京に住んでいる人が大したものでないのと同様に、沖縄の人間も大したものではない。守礼の国のヤクザ者の残酷さは超越的だし、観光客を乗せると遠回りするタクシー運転手も多い。これらは沖縄、日本に限らず世界中で同様の事柄ではないか。アウトローは残酷さで飯を喰い、運転手は遠回りで煙草銭を稼ぐ。沖縄が好きだと身悶えする沖縄に生まれ育った沖縄県民にあれこれ言うつもりはない。郷土愛に微妙なナショナリズムの気配まで絡まって、愛憎が過剰になるのも当然であると思う。ところが沖縄が好きだというよそ者のなかには、なにやら宗教的陶酔を漂わす者さえあって、その熱に寒気を覚えるのは私だけではあるまい。