大規模開発に悩まされていた川西市

昭和三〇年度後半から四〇年にかけての宅地開発は、手あたりしだいに土地を買いあさり、従来の都市とは関係のないところに、乱開発による宅地造成を行ない、都市としては未成熟な宅地をつくってしまった。これは民間開発だけでなく、住宅公団のような公的開発でも同じである。住宅建設の戸数というノルマ消化を最重点目標にするため。かなり不便な場所までも大規模開発した。不便な場所のほうが土地が安く、大量に確保しやすいからである。ところが開発によって周辺の地価はいっきょに急上昇する。その後になって学校用地を確保し、公園をつくり、周辺にきちんとした幹線道路を整備することは、至難なことになってしまった。

また、これらの施設やサービスの多くは、立て前上は地元市町村の責任ということになっているが、現行の地方税制や財政は固定的で、このように急激に整備しなければならない財政需要にはとうてい財源がまにあわないのである。かといって、地方税を引き上げて賄うことも許されていない。つまり東京の人口急増を受け入れることによって、地元自治体の財政は破綻し、十分な施設やサービスが提供できず、せいぜい一時的なまにあわせをするだけで、道路の未整備など居住した住民の不満はつのる。開発業者はそれにおかまいなく、利益を上げては他へ転じてゆくという状況になってしまった。

始めの頃、住宅公団を誘致しようという自治体さえあったが、結果は地元自治体の財政負担になることが分り、「団地おことわり」という声も上がってきた。このような宅地開発に伴う都市施設の未整備や、地元自治体の財政難、地価上昇などについては、けっきょくほとんど手がつけられないままに異常な宅地開発だけが進行したのである。宅地開発でも、たんなる自分の土地の利用開発にとどまらず、他へ大きな影響をあたえ、負担を招いているのだから、所有者や開発者に相当な負担をしてもらうことは当然だが、私権の抑制には消極的だったのである。

こうしたなかで、大規模開発に悩まされていた川西市(兵庫県)では、ひとつの団地の舗装だけで、市全体の一年問の舗装費が食われてしまうという状況であり、緊急を要する学校川地を確保したり、道路舗装は始めから開発事業者で整備してもらうため、昭和四二年五月に「宅地開発指導要綱」をつくった。これにより法令とは別に、都市環境の整備にしては即発京業者にも協力を求めることとした。

また、これより早く昭和四〇年八月には川崎市でも、「団地造脱市業施行状準」を定めて、大規模団地について、学校用地の提供のほか、近県、水道、沁掃、消防などの棺備につき即発事業者の協力を求めていた。当時の大都市の中では、横浜市は人目の増加率においても増加数においても、最高であったから、こうした問題に対する対応策の必要性は早くから叫ばれていた。川西市が要綱の検討を始めるより早く、昭和四一年九月には「宅地開発対策協議会」を設けて、内部で検討していたが、なかなか結論がでなかった。


— posted by wgft at 10:13 am