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エジプト、イスラエル間の国境の平和を保障する国連緊急軍の結成

11月1日の総会は翌朝4四時20分まで続いて散会した。その直前、カナダのピアソン外相がした演説の中に注目すべき提案があったことに気付いたものは疲れきっていた各国代表や記者たちの内に何人も居なかった。ピアソン外相は停戦が成立し、外国軍隊がエジプトを撤退しても中東の事態は以前の不安定な状態に戻るばかりで少しも平和の回復にはならないと指摘し、政治的な解決策を探っている期間、エジプト、イスラエル間の国境の平和を保障する国連軍が設けられるべきではないかと言ったのである。

午前4時30分、ニューヨークの漆黒の夜が少し白みはしめた頃、ピアソン外相は、やや懐疑的なハマショルド事務総長に国連軍をどうやって創ったらよいかについて自分の案を説明していた。国連ビルの2階では各国代表は寝ぼけ眼をこすりながら本国からの訓令を読んだり椅子に寄りかかってうたた寝をしていた。その間にも英仏軍によるポートサイド爆撃がつづいていたし、イスラエル軍はシナイ半島で残存しているエジプト軍の殲滅に取り掛かっていた。第三次世界大戦前夜の緊迫した空気がそこにあった。国連の中の人々には全世界の注目と祈りが彼等に集中していることが痛いほど感じられた。

ピアソンは11月2日の昼食をハマショルドと共にしたが、国連軍を具体的に結成する上での複雑な問題に思いを馳せていたハマショルド総長の眼は国連ビルから見下ろされるイースト川の白々と輝く川面を兎角追いがちであった。しかし、昼食が終る頃には国連軍を創る上での主な問題は2人の間で大体検討しつくされていた。国連軍の結成がイギリスとフランスに停戦を受諾させるのに必要な条件であることは明らかだった。3日夜の総会までにピアソン外相は主だった国々の代表と連絡し、彼等の了解を取り付けた。

11月4日早朝、国連緊急軍結成のプランを48時間以内に提出するよう事務総長に対し要請するカナダ決議案が、賛成57、反対無しで通過した。エジプトと共産圏諸国は棄権に回った。機敏を持って聞こえるハマショルド総長は、その日のうちに報告書を総会に提出し、パレスチナ休戦監視団団長のバーンズ准将を指揮官とする、5大国を除いた中小国からなる国連緊急軍を創ることを提案した。翌日、総会はこれを承認し、殆ど同時にイスラエルはエジプトとの停戦に同意する旨を通告してきた。しかしこの日、イギリスはポートサイドに上陸し、フランスの落下傘部隊も付近に降下してスエズ運河北部が英仏2国の支配に服すことになった。

ソ連は安保理事会でアメリカとソ連の海空軍が共同でエジプトに軍事援助を与え、イギリス、フランス、イスラエル3軍を撃退すべきだという強硬意見を述べた。一方イギリスとフランスはエジプトとイスラエルが停戦に同意し、国連軍が結成されるならば軍事行動を停止してもよいと声明した。とりわけ国内で世論と野党の厳しい批判にさらされ、国際的に完全に孤立したイギリスのイーデン内閣にとって国連軍が出来ることは政策の変更に都合のよい理由を提供し、休面をそれほど潰すとなしにイギリス軍を撤退させるのを可能にするものだった。

— posted by Arquite at 08:35 pm  

 

スエズ運河を保護する

アメリカが、イギリス、フランスの強硬政策とは別な、やや宥和的な政策に踏み切ったのでイギリスとフランスは国際的に孤立してゆくと同時に、互いの結合を深めて行き、この問題を安保理事会に提訴するとともにエジプトに対する軍事的圧力を強めていった。

安保理事会は公開会議と非公開会議を巧みに混合してエジプトと英仏の間を調停するのに努め、10月半ばになってスエズ運河の利用に関する6つの原則について関係国の意見の一致が成立した。しかし運河を「国際管理」する案はソ連の拒否権によって葬られた。

10月29日、イスラエル軍は怒濤のようにエジプトのシナイ半島に侵攻して行き、第二次中東戦争の幕が切って落とされた。その報を受けるや否やアメリカは直ちに安保理事会において「エジプトに対するイスラエルの軍事行動の即時停止」を求めた。

ハマショルド事務総長はイスラエルが休戦協定と国連決議に違反してエジプトに侵攻したという現地の国連休戦監視団からの報告を理事会で発表した。これと殆ど時を同じくしてイギリスとフランスはエジプト、イスラエル両国に対して、21時間の期限つきで最後通牒をつきつけ、停戦に同意しない場合には介入すると脅した。

介入の表向きの理由はスエズ運河を保護するということだった。エジプトは理事会で英仏の行動が侵略行為であると非難し、アメリカはイスラエル軍の撤退を求めるとともに武力の行使に反対するという決議案を提出した。ソ連を含む理事会の多数はアメリカ決議案に賛成したが、それはイギリスとフランスの拒否権によって葬られてしまった。

そこで直ちに安保理事会はユーゴスラビアの音頭とりで「平和のための結集」決議に従って緊急特別総会を招集することに決めた。6年前、朝鮮戦争の始まった年に「平和のための結集」決議が憲章違反だといって極力反対したソ連がこの時にはユーゴ案に賛成したのは国際政局の変転きわまりない展開を忍ばせて興味深い。

翌日招集された緊急特別総会にはイギリス、フランス、イスラエル3国の軍事行動に対する多くの国の激しい怒りがみなぎっていた。即時停戦と撤退を要求するアメリカ決議案が64対5、棄権6で通過した時には11月1日の真夜中を既に過ぎていた。

インドを中心としてアジア、アフリカ諸国がこぞって平和を守りエジプトの独立を擁護するため立ち上がったのも、この時であった。3日後にはインドその他アジア、アフリカ18ヵ国の停戦決議案がアメリカ案の後を追って採択され、停戦と撤退への国連の固い決意を示した。

— posted by Arquite at 08:31 pm