血塗られた権力闘争の歴史

西欧の歴史は一面で血塗られた権力闘争の歴史でもあった。この「権力闘争」の歴史こそが、西欧文明の要塞化を押し進めたもっとも大きな要因であったことは疑いない。「権力闘争」のうず巻く文明では、個人も共同体も国家社会も、まず敵ないし敵となりうるものからの防御力と反撃力を自覚的に高める「作為」なしに生き残ることは不可能だったからである。

むろんわが国もまた「神代の昔」から今日まで血塗られた「権力闘争」を繰り返してきたのだが、「権力闘争」が実際にはあるのに、あたかもそれがないかのようにあいまい化する心理的装置が常に働いてきた、という点で西欧文明とは明らかに異質であった。これを「権力闘争ぼかし」と呼べば、この「権力闘争ぼかし」もまた日本の神々を源に発する日本文明の大きな特質なのである。日本神話の「中空構造」もまた「権力闘争ぼかし」の一つだと考えている。


しかし、史上未曾有の八一年の最高潮に到達する前にかなり劇的な曲折があったことを知らねばならない。その第一は次表の世界の経常収支(各国の国際収支のうち資本取引を除いた、通常の国際的取引収支尻)の推移表をみていただきたい。世界はOECDを主たる中心として動いているという今までの常識が、こっぱみじんに打ち砕かれた日が二度きたのである。いわゆる第一次オイル・ショック(一九七三年末)、および第二次(一九七九年)の襲来であった。



「どうして神様はアラブの地に石油を恵んだのか」という西側の怨嵯の声が起きたほどである。当該年度にOPEC諸国に累積された巨大な黒字と、その反対にOECD先進諸国を襲った巨額な赤字を一覧するだけで、まるでタダと思われていた原油が一挙に世界経済を破滅の淵近くまで追いつめ、その後ながく続く低成長・失業・国際収支の赤字・インフレという四重苦をもたらした事実がわかるであろう。


— posted by wgft at 11:04 am  

大規模開発に悩まされていた川西市

昭和三〇年度後半から四〇年にかけての宅地開発は、手あたりしだいに土地を買いあさり、従来の都市とは関係のないところに、乱開発による宅地造成を行ない、都市としては未成熟な宅地をつくってしまった。これは民間開発だけでなく、住宅公団のような公的開発でも同じである。住宅建設の戸数というノルマ消化を最重点目標にするため。かなり不便な場所までも大規模開発した。不便な場所のほうが土地が安く、大量に確保しやすいからである。ところが開発によって周辺の地価はいっきょに急上昇する。その後になって学校用地を確保し、公園をつくり、周辺にきちんとした幹線道路を整備することは、至難なことになってしまった。

また、これらの施設やサービスの多くは、立て前上は地元市町村の責任ということになっているが、現行の地方税制や財政は固定的で、このように急激に整備しなければならない財政需要にはとうてい財源がまにあわないのである。かといって、地方税を引き上げて賄うことも許されていない。つまり東京の人口急増を受け入れることによって、地元自治体の財政は破綻し、十分な施設やサービスが提供できず、せいぜい一時的なまにあわせをするだけで、道路の未整備など居住した住民の不満はつのる。開発業者はそれにおかまいなく、利益を上げては他へ転じてゆくという状況になってしまった。

始めの頃、住宅公団を誘致しようという自治体さえあったが、結果は地元自治体の財政負担になることが分り、「団地おことわり」という声も上がってきた。このような宅地開発に伴う都市施設の未整備や、地元自治体の財政難、地価上昇などについては、けっきょくほとんど手がつけられないままに異常な宅地開発だけが進行したのである。宅地開発でも、たんなる自分の土地の利用開発にとどまらず、他へ大きな影響をあたえ、負担を招いているのだから、所有者や開発者に相当な負担をしてもらうことは当然だが、私権の抑制には消極的だったのである。

こうしたなかで、大規模開発に悩まされていた川西市(兵庫県)では、ひとつの団地の舗装だけで、市全体の一年問の舗装費が食われてしまうという状況であり、緊急を要する学校川地を確保したり、道路舗装は始めから開発事業者で整備してもらうため、昭和四二年五月に「宅地開発指導要綱」をつくった。これにより法令とは別に、都市環境の整備にしては即発京業者にも協力を求めることとした。

また、これより早く昭和四〇年八月には川崎市でも、「団地造脱市業施行状準」を定めて、大規模団地について、学校用地の提供のほか、近県、水道、沁掃、消防などの棺備につき即発事業者の協力を求めていた。当時の大都市の中では、横浜市は人目の増加率においても増加数においても、最高であったから、こうした問題に対する対応策の必要性は早くから叫ばれていた。川西市が要綱の検討を始めるより早く、昭和四一年九月には「宅地開発対策協議会」を設けて、内部で検討していたが、なかなか結論がでなかった。


— posted by wgft at 10:13 am  

労働力の慢性的不足

それでは日本の社会における終身雇用という観念はどこからきたのだろうか、それは根も葉もないものなのだろうか。終身雇用という観念は日本の社仝にひろく流布しており、通念となっているように見える。そしてその通念は全く根拠がないわけではない。実際、法律上、正当な理由があれば解雇はできることになっているが、会社が潰れそうだというような危機的状態は別として、裁判などで争うと解雇は必ずしも容易でない。


それは裁判所が日本の社会に終身雇用という社会通念があると考えているからだろう。

そうした社会通念は、戦後、労働者の生活保障が強調されたことによるところもあるが、日本経済がその後しばらく高度成長をつづけたため、労働力が慢性的に不足基調になり、一度企業に入ればまず解雇されるおそれはなく生活は安泰だという観念がしだいに社会に行きわたったところから定着したものと思われる。そうした期待感の上で生活設計が組み立てられ、社会が機能してゆくようになるにつれてそれはいわば社会的な既得権のように考え方として固定化してしまったのだろう。


しかし、現実には、それは制度として確立されたわけではなく、不況が深刻になれば高度成長時代の後でも一九七〇年代の経験のように大規模な雇用調整は実際に行われているのである。雇用需要は生産の派生需要であるから生産が長期にわたって低迷すれば雇用を維持できなくなるのは市場経済の道理であり、日本の経済も企業もまったくその例外ではないのである。


したがって、今回の平成不況でも需要が収縮し生産が激減したために、雇用の削減が必然的に求められたわけであり、合理化の余地がまだ比較的残されている中高年ホワイトカラーや管理職層がその焦点になったわけである。その限りでは、それは日本企業の雇用制度の質的変化を意味するものでは全くない。外的市場条件の変化に照応してこれまでにも示してきたものと同様の反応を示しているに過ぎないのである。


— posted by wgft at 04:58 pm  

大使館の活動の中でもっとも重要な位置を占めるのは情報収集と分析

大使館の活動の中でもっとも重要な位置を占めるのは、その大使館のある国家の情報収集と分析である。1つの大使館がその所在国だけでなく、近隣のいくつかの国家をも管轄することもある。これを兼轄(けんかつ)と言います。そもそも西欧で常設大使館の制度が生み出されたことは、西欧型国際社会の形成と発展にとってきわめて重要な意味をもっているといわれる。

そして常設大使館を設置するという発想の基礎にあったのは、その国家の政情を間断なく監視するということにあった。つまり情報収集、分析という仕事は、大使館のもっとも基本的な機能ということである。

この重要性は、情報化社会と呼ばれ、情報伝達手段が格段に発達しか今日においても、基本的には変わっていない。通常いわれる「土地勘」「プレゼンス」さらには相手側担当者等と経常的接触ができることといった要素が情報収集、分析に果たす役割は、何ものにも替えがたい重みをもっている。

この重要性は今後も維持されるだろう。むしろ国際関係が緊密さを増し、国家間の接触の頻度も増すにしたがい、現地大使館が正確な情報を迅速に収集し、分析して本国に知らせることの重要性は、ますます高まっていくと考えられる。繰り返しふれていることだが、外務省の機能強化の必要性が説得力をもつ所以である。

情報収集と分析の重要性という問題との関連で考えなければならない問題の1つが外交官の任期ということである。外交官が1つのポストで勤務する期間は、通常2年ないし3年である。

3年の場合は一国に勤務したら帰出し、2年の場合はもう一国で勤務するというような形が原則となっている。ただし、例外がきわめて多い。後者の場合は、いわゆる先進国と途上国とを1ヵ所ずつということになる。

— posted by Arquite at 11:24 am  

マネーの原理が暴走したから、世界は混乱したのである

日本に紹介されないソロス氏の一面だが、大手ヘッジファンドは大体似たような行動パターンをとっていると見て良いだろう。彼らには大手金融機関も出資しており、しばしば何らかの政治的意図を体現しているように見える場面もある。

だがソロス氏も言うように、彼らはあくまで「金儲け」のために動いているのであり、政治的原理よりマネーの原理に従っていることは疑いないだろう。マネーの原理が暴走したから、世界は混乱したのである。

ではなぜそういうことが可能だったのか。ヘッジファンドが時には実態以上に不気味に思われるのは、一つには彼らがデリバティブという、これまた正体の分りにくい投機取引に参加しているからである。それがわれわれと無縁の世界での出来ごとなら何の問題もないが、現実にそうも行かないから困るのである。

資本主義経済には景気循環その他、波(変動)が付物だが、あらゆる投機はこの変動の上に成立している。物価でも株価でも為替でも金利でも、安定したままでは投機は成り立だない。

ヘッジファンドの出番はないのである。その意味では、投機は資本主義経済の必然的副産物ともいえるのだが、それにしてもここ数年の為替や株価の変動は、もはや乱高下といって良い。

実はそれもまた、デリバティブという極めてリスクの高い金融取引が、世界を舞台に行われているためである。こうした取引が行われ、しかも誰もチェックできないこと自体が、現在の国際金融システムの根本的欠陥といえよう。

そのことの危険に気づかなければ、何十兆円の公的資金を投入しても、日本経済の再生にはつながらない。日本人の資産はデリバティブ取引で大儲けを企む海外のヘッジファンドの絶好の標的にされている。

日本の国内にも問題は山積しているが、それらを圧倒して余りある「デリバティブ」と「ヘッジファンド」という妖怪について、われわれはもっと知らなければならないだろう。


— posted by wgft at 11:49 am