ウイグル人の独立

カザフ人とこれらの民族の言語は同じチュルク語系言語で、単語の八〇%ほどが似通っており、お互いに通じるという。同じイスラム教徒でもあり、文化、社会風俗も相似しており、「同じ仲間だ」という意識が強い。地理的にもそうだ。アルマトイ郊外の有名な国際スケート場「メディナ」は、天山山脈の支脈の西端にあたる。新疆のウルムチ郊外にある有名な観光地、天池から見た天山山脈の最高峰、万年雪を被るボゴタ峰が、ここからも見えた。カザフスタンなど中央アジアと新疆ウイグルは、国家としては分け隔てられているものの、社会の深部ではトルキスタン(トルコの地)として溶け合っているのである。

カザフスタンは新疆からタシケント、サマルカンド、そして遥かイスタンブールへとつづく新シルクロードの中央に位置する。このため、交通・輸送のインフラ拡充に全力をあげている。「カザフスタン論拠と事実」紙のセルゲイーペロフ記者は、中央ユ上フシアの
地図を示しながら、こう言う。「今、新しいシルクロードが生まれようとしている。かつてのシルクロードの二一世紀における再生と言えるだろう。新たな鉄道が伊寧からホルゴス、アルマトイヘと通じるし、上海からホルゴスまでの高速道路もアルマトイまで延伸する。鉄道の阿拉山口-アルマトイ、道路のホルゴス-アルマトイという二大物流ルートが四大物流ルートになるのだ。また、アルマトイからタシケント、サマルカンドヘの新規の道路建設も予定されている。これによって、新シルクロードはユーラシアの中央を繋ぐ大きな経済動脈になるだろう。」

かなり楽観的な予測だが、この地域は各国とも二〇〇〇年前後から経済力を急速に伸ばしつつあり、そうした可能性も小さくない。ペロフ記者は西シベリアのトムスクから流れてきた三〇歳台のロシア人だが、「私も、この沸き立つような地域のダイナミズムに大いに関心をもつようになった。ここでは、未来を見つめて働く価値があると思っている。歴史的にも面白い時代になってきた。ここに骨を埋めるつもりだ」と語った。阿拉山口からアルマトイまで国際列車に乗ったが、そのコンパートメントで同室になったのは、五〇歳台のウイグル人夫妻たった。一九六二年に住み慣れたウルムチからアルマトイに移住しており、年一回の里帰りからの帰途だと言う。ミュージシャンの夫はアラビア文字のウイグル語新聞を黙って読んでいたが、妻は私とのロシア語による雑談に饒舌だった。

「私たち一族はあの当時、漢人に追われるようにカザフスタンに出国したの。ウイグル人として生活していけなくなったから。ウルムチはウイグル人の土地だったのに、今は漢人の土地になってしまった。毎年一度、ウルムチに帰るけど、ウイグル人の生活はますます肩身が狭くなっている。中国語で教える学校だけが増えているし、大学ではウイグル語で学ぶこともできなくなった。」中国からの分離・独立を掲げている「東トルキスタンーイスラム運動」をどう見るか尋ねると、彼女は「立派な人たちだ」と一言つぶやいた。そこへ隣室にいる三〇歳台の甥が顔を出した。「中国人車掌に聞かれると、まずいから」とドアを閉めて、小声で語りだした。

「ウイグル人が独立を求めるのは、当然なことだ。もともと中国の一部ではないし、われわれは、昔は独立国家をつくっていたんだから。それに最近でも一九三三年にカシュガルで東トルキスタン・イスラム共和国が、一九四四年にクルジャ(伊寧)で東トルキスタン共和国が、それぞれ成立している。すぐに潰され、一時的なものだったけれど。四四年の東トルキスタン共和国は結局、スターリンと毛沢束によって潰されたんだ。ソ連邦の解体で、カザフ人やウズペク人など同じトルキスタンの民族が独立国家を手にした。同じウイグル人が独立国家をもっても当然だよね。」


— posted by wgft at 01:13 pm  

「人道復興支援」の実態

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むしろ軍事介入こそテロを醸成する社会や文化の対立を悪化させかねない。これは、戦争と占領と蛮行を経験した欧州の「古い国」フランスからのメッセージである。」(国連安保理、2003年2月15日)

ドビルパン演説は武力行使に同調しないフランスなどを「古い欧州」とあざ笑ったラムズフェルド国防長官に対する正面きった反論であった。このスピーチは、国連加盟国に深い感動を与えた。アメリカが求めた制裁決議不採択を決定づけた演説といわれている。ドイツのフィッシャー外相もおなじ立場から武力制裁に反対した。

「わが国はフランスの提案を強く支持する。平和的手段による可能な限りの解決を目指そう。軍事的行動は地域の安定を危険にさらし、破滅的な結果をもたらす。自動的に軍事力の行使をしてはならない。外交努力の道はまだ残っている。」フィッシャー外相は、この演説の前、ラムズフェルド国防長官に「申し訳ないが、私には納得がいかない。納得がいかないものを国民に説明することは出来ない」と直言したという。小泉首相の安保国益論とは全く違う世界観がそこにみえる。

このような経過で、国連憲章にもとづくイラク武力制裁という事態ははばまれた。だが、アメリカは「有志国連合」による開戦に踏みきる。日本はそれに追随した。小泉首相は、さきのアフガニスタン攻撃支援のさい、「憲法の前文にありますとおり、国際社会において、名誉ある地位を得たいと謳っております」とアメリカへの同調に胸を張った。

だが、イラク戦争で憲法前文の精神を国際社会で実践したのは日本ではなくフランスとドイツの方だった。では、イラク派遣自衛隊はイラクで何をしてきたのか?その活動は復興援助と人道支援にどれほど役立ったのだろうか。国会に提出された防衛庁資料によれば「自衛隊のイラク派遣に関する経費」は表のとおりである。

4年間の予算を合計すると868億円(隊員の本給は除く)にのぼる。このうち、一体どれだけがイラク社会の復興に充てられたのか。防衛省は詳細な内訳を明らかにしないので正確な全容を掴むとはできない。

ただ、2006年3月末時点で総経費中、派遣隊員の手当(1日2万円)が232億円、営舎費63億円、器材購入費109億円、運搬費117億円、通信維持費62億円、車両修理費18億円とされる。これだけで481億円になる。

2005年度までの経費(743億円)でみても、実に60%以上が隊員の手当や生活費など駐留経費に消えたとわかる。住民のための復興援助が目的なら、もっと効率のよい方法があったはずである。具体的に援助の一部を点検してみる。

これに対し任務終了時点での完了実績(毎日新聞2006年8月7日付夕刊)をみると学校(36ヵ所)、道路、橋(31ヵ所)、医療施設(30ヵ所)、給水施設(24ヵ所)、文化施設(22ヵ所)となっている。

政府答弁書ではムサンナ県には約350校、サマワ市には約140校の学校が存在し「その過半について、復旧・整備が必要である」とされていた学校の復旧整備だけ取りあげても実績は必要の半分にも満たなかった計算になる。2年半、6,000人、743億円でこの程度なのかと誰もが感じるだろう。

— posted by Arquite at 11:07 am  

営業現場での新人教育

「私か社内失業したのは、新卒で入社して研修が終わって、その直後だったから2007年の7月くらいから。私はルート営業として採用されました。ルート営業っていうのは、元々いるお客さんからどう注文を取っていくかっていうのが仕事なんですね。新規開拓は基本的にはしないんです。仕事の発注も、大体いつも決まったお客さんから決まった量がくるんですね。だから付いた先輩がどれだけお客さんを抱えてるか、どれだけ自分に引き継ぎしてくれるかで、自分の仕事量とか売上が大体決まっちゃう」「私か付いた50代後半の課長は、お客さんをほぼ持っていない人だったんですよ。すごく仲よくしている出版社のお客さんが一人だけいて、その人のところに課長と私の二人で、月曜日から金曜日まで毎日行ってるような状態でした。

たくさん仕事を抱えてるお客さんだったので、その方が忙しいときは挨拶だけして帰ります。相手に余裕があるときは、喫煙スペースで2~3時間おしゃべりしてましたね。仕事の話もしてましたけど、なんでもない雑談も多かったですね。課長は釣りが趣味で、噂では釣った魚の魚拓が部屋にずら1つと並んでるらしいんです。そういう趣味の話とかを二人で話していて。私は付いていけなくて、隅っこのほうで小さくなってました」どうも課長とお客さんは趣味の話で意気投合しており、それが縁で仕事を受注できていたようだ。しかし既存の顧客を回ることで売上を上げるルート営業にもかかわらず、お客さんが一人しかいない。つまり課長自身、仕事をほとんど持だない窓際族だったのである。そんな状態では田村さんに引き継ぐ仕事などあろうはずもない。そんな日々が1年ほど続いたという。

上司が部下を実際の営業活動に連れて行くことを同行営業と言う。営業のノウハウは座学では伝わりにくいため、営業現場での新人教育は、まず部下を同行させることで行う場合が多い。実際の商談の様子を見せたり、折衝のテクニックを学ばせ、その中で徐々に社会人としての対人マナーや、仕事の全体的な流れを教えていくわけだ。つまり同行は新人教育において、最初の一歩でつまずかせないための極めて重要な行為なのである。しかし「そんな感じだから、営業もすぐ終わっちゃう。でも会社に戻ると、同僚は営業で外に出ているので、職場にいるのは部長と課長と私だけ。すごく目立つし、デスクに30分も座ってると『なんでお前座ってるんだよ。外行けよ。営業なんだから』つて部長からプレッシャーをかけられるんです。しかも部長がくると、課長はぴゅ1んとタバコを吸いに喫煙所に行っちゃう。社内はシーンと音が聞こえるぐらい静かで、気まずかったです」。

この課長からは、教育しようという意図が感じられない。現場で営業トークをさせてみて問題点を挙げるなり、自分が営業している様子を見せて勉強させるなり、やれることはたくさんあるはずだ。しかし教育どころか、営業はただ雑談に付き合わせるだけ。会社に戻ったところでフィードバックされることもなく、それどころかなんの指示もない。新卒入社にもかかわらず、完全に放置されてしまったわけだ。「一番辛かったのは、毎朝の朝礼ですね。どこに行ったとか、営業の成果だとかを発表しなきやいけないんですけど、なんせ発表するものがなにもないですから。最初の頃は課長もかばってくれたんですけど、どんどん冷たくなって助けてくれなくなりました。部長からは毎日のように『営業は仕事を取ってきてなんぼなんだからな。サボつてんじゃねーのか?』って言われたり」。

右記の発言からも感じられるように、この部長にも問題がある。ルート営業で仕事のない課長に同行させていたら、仕事を取ってこれないのは当たり前。それでいて具体的な指示はなく、やり方を変えさせるなり、他の上司に付けるなりの代替案も示さずに、入社3ヵ月の新人社員に任せっぱなしにしておいて「サボつてんじゃねーのか?」とはあんまりだ。そもそも部長は、課長に仕事がないことを把握していたのだろうか?「うちの部長は、一日中机に座って居眠りしてました。誰かの嫌がらせで、デスクにガムの包み紙を置かれたりするぐらい。「なにか書いてるな」と思って覗き込むと、紙にただ丸をいっぱい書いてたりだとか。


— posted by wgft at 09:40 am  

着飾るより肌着に対して金をかける

第二世代は肌着に金をかけて、外側は逆にアンチブランドみたいにしている。ブランド物をもらったら、それをちぎって、自分なりのかたちに変えて、自己のスタイルにすることを大事にしている。

これはいい傾向ですよ。人々がそういう方向に向かっているときにそれを育てる方向に動けばいいんです。しかし、官庁にも政府にも体裁を大事にする風習が根強い。

ただし若い人たちは、感覚的に、なま身の肌を大事にしなければいけない、人間を大事にしなければいけないということがわかっている。だから、着飾るより肌着に対して金をかける。

それが、もう一段階進んで、今や皮膚、肌へきているわけですね。そして身体の奥にある「心」に向かっていこうとしている。最近の、幼児から二十歳くらいの人向けの絵本にしても、読む本にしても、心に関するものがだんだん多くなってきていますよ。本屋さんにそういうコーナーができたり、いい方向に行ってはいるのです。と言う。


— posted by wgft at 01:23 pm  

高齢化社会は自分たちの問題である

最近、核家族化が進んでおり、家にお年寄りのいない家庭が多くなってきた。自分が、または家族が年をとり、しかも体の自由がきかなくなったときにはどう対処すればいいのか。まごつくばかりでは解決しない。いつも老人と接しておれば、自分の問題として考えることができる。若者にとって、高齢化社会はまさに自分たちの問題であり、自分自身が挑戦していかねばならない問題なのだ。

大分県では毎年、世界中から選手が集まり、車いすマラソン大会を開いている。手だけで車輪をこぐわけだから、普通のマラソンよりはるかにきつい。それでも、四二・二九五キロを一時間四〇分で走ってしまう。マラソン選手よりも早いわけで、必死に車輪をこぐ姿には感動を覚える。ちなみに、平成元年の大会の最高齢者はアメリカのマキシムーローデスさん、七六歳。大の大分ファンで、この大会には三回目の出場。この年の選手宣誓もやった。大分には若い「ローデスファン」がたくさんいる。ローデスさんは何も語らずとも若者たちに何かを教えてくれる。

平成元年に、社会福祉士や介護福祉士の国家資格制度ができた。県下でも勉強して資格をとろうという生徒が多い。同年四月、大分市に「九州テクニカル専修学校」が開校。西日本ではただ一つの社会福祉士と介護福祉士となるための養成校だ。二〇歳前後の学生が中心だが、主婦や他の職業からの転職組もいる。介護福祉士なら二年間の課程を修了すれば資格がとれるが、社会福祉士になるためには一年間の課程修了後に、国家試験に通らなければならない。

翌年、同校にとっては開校して初めての社会福祉士試験となった。受験者二一人中、合格者一五人。合格率七四%。全国平均の合格率二三・四%に比べるときわめて高い。これも福祉先進県・大分の若者たちの意欲の表れだ。福祉も結局「Aづくり」なのである。


— posted by wgft at 12:28 pm