金融のレジームーチェンジ

還暦に近づくあたりで人は後ろ向きの時間を生き始めるのであろうか。このところ私も大学時代のなつかしい友と過ごす時間が少しずつふえている。優秀であった彼らの多くは金融機関に勤めていて、日本経済は彼らの双肩にかかっているかのごとき軒昂の意気を感じていた。しかしこのところ一転して彼らの気分には滅々たるものがある。

寸分の疑いをもつこともなく身をゆだねてきた自分の銀行や証券会社が、何かの抗い難い力によってぼろぼろと崩れていく姿をみせつけられるのはさぞや無念にちがいない。名だたる銀行や証券会社が時をおかずに次々と経営破綻に陥っていく状況を眺めていると、いかに堅固に積み上げられたシステムであれ、いったん崩れ始めたらいかにもあっけないものだと実感せざるを得ない。

日本の金融システムを閉塞状況に陥れているのは、金融機関の抱える膨大な不良債権である。本書はこの不良債権を生みだしたメカニズムを追いながら、実は不良債権問題は日本の金融システムの仕組みが機能不全に陥ったことのあらわれなのだという結論に到達する。すなわち、一九九七年来の日本の金融的混乱を、著者は「平常時における市場メカニズムの発露、あるいは金融における市場メカニズムの仮借なき淘汰機能の所産ではなく、伝統的に使われてきたセーフティー・ネットがついに機能不全に陥ったというレジームーチェンジの認識によってもたらされたもの」だとみている。

セーフティー・ネットとは、金融機関の経営危機に際してはその破綻を回避させて預金者や債権者の利益を保護する大蔵省主導の政策措置のことである。セーフティー・ネットに対する人々の信頼が大きく揺らいでいるという重大な状況認識に立って、日本の金融システムをいかにして自律的なものへと再生させていくのか、困難にして錯綜したテーマを本書は実に明快に論じている。日本の金融メカニズムについて高レベルを保ちながらこれほど平易に解き明かした著作もめずらしい。


— posted by wgft at 09:17 am  

石油パニックが世界を覆う

アメリカ軍のベトナムからの撤退は、中国との外交関係ではプラスに作用したが、中東の情勢ではマイナスに作用した。1973年10月、エジプト軍は、イスラエル軍が占領したまま居すわっていた自国の領土奪還をめざして、突如として行動を起こした。第四次中東戦争が始まった。従来とは違って、開戦直後にアラブ産油国は、イスラエル支持国に対する原油の供給を削減する用意があると声明し、続いて12月末には、アラビア軽質原油の場合、公示価額をその年1月の4倍をこえる11.65ドルに引き上げた。


それまでは、原油の公示価額の変動については、産油国と外国石油会社とメジャーとの協議によって決定されていたのだが、産油国はその協議を不要とし、メジャーは押し切られてしまった。アラブ諸国はアメリカの足下を見ていたのだろう。従来なら、アラブ諸国がそんなことをしたら、アメリカが航空母艦と海兵隊をかかえる揚陸艦とを派遣して軍事的圧力を加える可能性を考えなければならなかった。


しかし、アメリカ人はベトナム戦争での敗北で海外派兵にこりごりしており、その可能性はないと、アラブ諸国は判断したのであろう。実際、1956年にエジプトがスエズ運河の国有化を宣言した時には、英仏連合軍がスエズ運河に進駐したのであった。その17年後の1973年には、むろんアメリカは一兵も動かすことが出来なかった。


石油パニックが世界を覆った。アメリカは依然として世界有数の産油国ではあったが、石油の消費の伸びが生産を上回り、すでに世界有数の原油輸入国に変わっていた。アメリカでは、この年の末、各ガソリンスタンドに自動車の長い行列が出来た。ドライバーは初めて、アメリカの大型車の燃料消費量の多さに気づいた。がりになじみのスタンドで、ガソリンを満タンに出来ても、週末のレジャーに遠出をしたら、帰りのガソリンをはたして調達できるかどうか、不安になった。燃料消費量の少ない日本の小型車が、真剣に注目されるようになった。


— posted by wgft at 10:19 am  

公共投資の地方配分

最後の挑戦は基盤整備である。交通体系の整備についてはすでに述べた。そのほか、文化・スポーツ施設や新しい研究開発などの施設を作っていく。

その際一番大切なことは、投資対効果の考え方である。国の公共事業予算は単年度予算であるから、どうしても短期間における投資対効果の議論になりやすい。リニア新幹線においても、宮崎-大分間、札幌-千歳間よりも、東京―山梨間か先行するし、新幹線の整備においても、青森-盛岡間、博多-鹿児島間よりも、高崎-軽井沢間が一番手になる。これではますます東京周辺に公共投資が集中し、一極集中が加速されるだけだ。

政府は民活法(民間事業者の能力活用による特定施設整備促進に関する臨時措置法、六一年)を制定し、民間資本の導入におおわらわだが、総理府の調査(六三年)によると、一〇〇〇億円以上の民活プロジェクトは三五件で、うち一六件が東京周辺に集中している。東京湾横断道路、幕張メッセ、かながわサイエンスパークなど。めぼしいプロジェクトが東京圏に集中したことで、それがまた地価狂騰の原因にもなっている。

明治政府時代、日本の鉄道は名寄から鹿児島に至るまで、全国を網羅した。現在の九州や四国では、明治時代の鉄道路線の大部分がそのまま使われている。日米構造協議によってようやく政府は重い腰を上げ、公共事業一〇ヵ年計画を策定し、下水道や公園など社会生活基盤の充実に力を入れるようになったが、短期的な効率論ではなく、国家百年の大計にたって地方における基盤投資をこの際思いきって行なうべきである。


— posted by wgft at 09:34 am  

二十世紀の文明を象徴する

地球は、美しい自然をもち、多様な生物が生きている唯一の惑星です。宇宙には無数の天体がありますが、このように美しい自然のなかで生命が生きつづけている星は地球しか存在しないのではないでしょうか。地球にこのように美しい自然があり、生命が生きつづけることができるのは、地球をおおっている大気のおかげです。大気のなかには、ごく微量の二酸化炭素をはじめとする温室効果ガスがちょうどうまい具合に入っていて、太陽からくるエネルギーをたくみに調整して、平均地表気温がちょうど一五度に保たれるようになっているからです。

この、微妙な大気の構成がいま人類の活動によって、崩されつつあります。それは、産業革命を契機として、大量の化石燃料の消費によって大気中の二酸化炭素の濃度が年々異常な率でふえているからです。同時に、大気の安定化に中心的な役割をはたしてきた森林、とくに熱帯雨林が大量に伐採され、消滅しています。熱帯雨林の破壊は、化石燃料の燃焼と同じように、大気の二酸化炭素の濃度の急速な上昇をひきおこしています。

地球温暖化はヽ二酸化炭素をはじめとする温室効果ガスの大気中の蓄積によってひきおこされたものです。地球温暖化は、たんに平均地表気温の上昇だけでなく、気候条件の極端な不安定化をもたらし、美しい自然を大きく変えて、数多くの生物の存在に大きな脅威を与えることになります。とくに、地球温暖化によってひきおこされる自然環境の激変によって、美しい都市が失われ、多数の環境難民がでることは必至です。

二十世紀は、工業化と都市化の世紀でした。高度の発達した近代技術は、生産性のすばらしい上昇をもたらし、人々は経済成長の果実を享受しているかのようにみえます。しかし、二十世紀を通じて、自然環境の破壊は著しく、先進工業諸国と発展途上諸国の間の経済的格差は大きくなってきました。

地球温暖化は、この二十世紀の文明を象徴するものです。それはたんに現在の世代に被害を与えるだけでなく、遠い将来の世代に対しても取り返しのつかないかたちで被害を与えつづけることになります。二十世紀の後半はまた、アメリカとソ連の間に冷戦状態がつづき、大量の核兵器の存在が、想像を絶した大量破壊の危険をはらんで、人類を恐怖のどん底におとしいれてきました。これはすべて、近代技術の進歩と経済力の発展とによっておこったものであり、地球温暖化と無縁ではありませんでした。

しかし、一九九一年の「八月革命」によって、ソ連帝国は崩壊し、冷戦状態は解消され、世界はまったく新しい状況のもとにおかれることになりました。この、新しい状況のもとで、地球温暖化をはじめとする地球環境問題に対して、私たちは誠実に対応し、人類の将来に悔いを残さないようにしたいと思います。


— posted by wgft at 03:05 pm  

交通犯罪の実情

わが国でマイカー時代の幕が開けたのは、日産自動車がダットサンブルーバードの発売を開始した一九五九年だと言われている。しかし、この年は交通事故による死者がはじめて一万人の大台に乗った年でもあった。その後、交通事故による死者は、マイカーの普及に歩調を合わせるように増加し続け、一九七〇年には一万六七六五人と。史上最悪の数を記録するに至った。原則として事故発生後二四時間以内の死者の数を用いる。

このような事態に危機感を強めた政府は、一九七〇年に交通安全対策基本法を制定し、一九七一年度から七五年度までを計画期間とする第一次交通安全基本計画を策定した。これらの対策が功を奏したのか、死者の数は一九七一年以降急速に減少し、一九七六年には一万人を割り、一九七九年には八四六六人と、ほぼ一九五八年の水準にまで減少した。

しかしこれは一時的な現象にしかすぎなかった。一九八〇年から死者の数は再び上昇し始め、一九八八年には再度一万人の線を超え。それ以降、一万人を超えたままである。さらに負傷者数や事故件数の動きを見ると、底であった一九七七年以降、どちらも着実なペースで増加し続けているし、事故後一年以内の死者になるとその数はいまだに一万四〇〇〇人を超えている。少なくとも「数」から見るかぎり、我々の社会の交通事故は、四〇年近くも死者一万人以上であったという点で、きわめて日常的な出来事になってしまっている。

ただし一九九六年の死者は九九四二人と九年振りに一万人を下回った。言うまでもないことだが、交通事故というのは、誰かが交通規則を破ったために起こる「犯罪」であって、地震や台風のような自然現象がもとで生じる事故ではない。しかし、地震や風水害で人々が生命を失うことには敏感であっても、交通事故で多くの生命が失われることに対して、我々はほとんど無関心である。我々の社会は交通事故に対して驚くほど鈍感、さらに言えば寛大でさえある。我々の社会は交通犯罪を正常な事象として内包してしまっている。どうしてなのだろうか。このような鈍感さ、寛大さは。社会のあり方としては、事故の数が多いということ以上に常軌を逸した事態だと言わなければならないのではないか。しかし人々は交通事故に慣れきってしまい、この事態の異常さにほとんど気付かない。どうしてなのだろうか。

交通事故のすべてが厳密な意味での「犯罪」だというわけではない。では、現に発生している交通事故のうち、どれだけが犯罪なのだろうか。しかし、それを示すような統計は存在しない。そこで、業務上過失致死傷罪で検挙された件数を犯罪の数だとみなせば、交通事故のほぼ九割が犯罪だということになるし、車両単独ではなく、人対車両、車両対車両の事故を(それらには加害者と被害者とが存在するはずだから)犯罪だとすれば、これも交通事故全体の九〇~九五%を占めることになる。交通事故のほとんどすべてが犯罪なのだと言っても、決して過言ではないのである。

我々の社会では、犯罪を犯した人は何らかの責任を取らなければならない決まりになっている。交通犯罪の場合、その責任はどのようなものなのだろうか。車が普及している現在では周知のことだと言ってょいのだろうが。それは、行政上の責任、刑事上の責任、民事上の責任(損害賠償)の三つである。


— posted by wgft at 10:22 am