売り込む自分の力の本質を知れ

キャリアの幅を広げようと意図したことが、まったく裏目に出ることになるのだ。これもいわば、技術偏重主義の弊害のひとつだと考えられる。技術といえば、転職の動機のひとつに最新技術を習得したいから、というものもある。現在の職場では使用している技術に限界があって、新しい職場で新しい技術を習得したいという考えらしい。たとえば、現在は社内の勘定系システムを担当しているが、これからの時代を担うといわれるB2BとかCRMなどのキーワードに触発されて、そのような技術知識を習得できる職場を求めて転職しようというのである。


これなどは、すでに述べた技術偏重主義の最たる例である。こんな人は時代によって移り変わる技術に振り回されて転職をくりかえした結果、最終的に悲惨な目にあうことははっきりしている。転職を重ねるにつれて自分の価値も下がっていく。キャリアアップどころか、まさしくキャリアダウンである。そんな転職をしてはならない。


現在ではさまざまな転職情報誌が発売され、人材派遣会社や転職斡旋会社などの活動も盛んだ。これはいくつかの世相を反映している。ひとつは、長引く不況によってリストラの影に怯える中高年サラリーマンが、より安全な企業・職場を求めているという実態が反映されている。もうひとつは、SEをはじめとする技術職のサラリーマンが、先に述べたキャリアアップを求めて転職を志願するケースが多いということである。


とくにIT関連の人材は、企業側も優秀な人材を求めているので、需要側と供給側のニーズがマッチし、転職紹介が盛んにおこなわれている。転職斡旋会社などもこのような時代が生んだ新しい事業の典型と言えるだろう。


SEの場合、ひとことでSEと言っても、その知識やカバーする分野が非常に幅広く、転職希望者が自分の保有するキャリアや技術がどの企業とマッチするのかを発見すること自体、個人ではなかなかむずかしい。だから、転職斡旋会社なるものに自分の経歴を登録しておき、自分の希望に合う企業の紹介を受けることになる。実際、転職を希望するSEのほとんどは、なんらかの転職斡旋会社や人材バンクなどを経由して転職活動をおこなっているのではないだろうか。


— posted by wgft at 12:04 pm  

滑稽な「ウサギ小屋」

経済の本はわかりにくく、面白くないという社会通念があることを、かねてから私は残念に思っている。そうした社会通念に挑戦してみたいという気持ちから、この本はできるだけやさしく、できるだけ面白く書こうと心がけたけれども、それが成功したか否かは、読者が判断されることだろう。しかしその中身は、専門家の間での了解事項を、一般読者向けにやさしく解説するといったたぐいの入門書では、けっしてない。むしろ、この本の主張の多くは、通説とは相容れない。しばしば意表をつくであろうこの本の主張が、はたして読者をどれだけ説得できるか、著者として自信があるわけではない。ただ、「ほんとうに重要なことは、本には書いてない」というのが、つね日ごろ私の口癖である。


ひとたび固定観念を捨て、古びた抽象語で考えることを止めて、好奇の目で身のまわりを具体的に観察しさえすれば、多くの物事はずいぶんちがった形をしてみえるだろうという点だけは、ぜひともここで指摘しておきたい気がする。早い話が、「すでに日本は豊かだ」ということ自体、世の常識に反するかもしれない。そこで私の話は、まずその点から始めなければならないだろう。すなわち、日本人はけっして「ウサギ小屋」に住んでいるわけではない。そして、日本人はとくに異常な「仕事気ちがい」だというわけでもない。


EC(ヨーロッパ共同体)委員会は、日本人のことを「ウサギ小屋に住む仕事気ちがい」と評した。「仕事気ちがい」のことは後にゆずって、まず「ウサギ小屋」のことを考えてみよう。欧米諸国とくらべて、日本の住宅事情がきわめて劣悪だというのは、常識である。いまこの常識が正しいものと仮定しよう。EC委員会が「ウサギ小屋」論をいったとき、日本人の中には、「それみたことか」と快哉を叫んだ人がかなりいる。住宅について議論するとき、必ずこのことばが使われるようになった。多くの日本人は、「ウサギ小屋」論がまさに真実だと考えたのである。


たまたま私は、昭和五十四年六月に開かれた東京サミットの直後、友人の新聞記者に会った。「サミットはどうでしたが?」と尋ねたところ、「やってよかった」と彼は答えた。「フランスのジスカールデスタン大統領は、東京をみて、ウサギ小屋ではないなといったそうです。どうやら氏は、香港の貧民のようなところを想像していたらしい。その誤解を正しただけでも、東京でサミットを開いた甲斐があった。


— posted by wgft at 02:41 pm  

文化人と称する貴方

ところで国内線の飛行機にはビジネスシートなる一等席がある。ファーストクラスがあるのだから、ビジネスは二等席か。ともあれエコノミーのバタリーよりは多少は広い。先に書いたラウンジと同様、経済的な貧困とはまた別種の独特の貧乏臭を放っている座席だが、さて、かのニュースキャスター様はビジネス、エコノミー、どちらの座席で沖縄にいらっしゃるのだろか。べつにニュースキャスターだけでなく、この駄文を書いている小説家某も飛行機に乗って沖縄に行く。以前は主目的として人買い、女を買いに出かけたのだが、最近はそれにも飽き果てて「道を歩いていれば、絶対に見向きもしないような娘さんを、金を払ったがゆえに努力して努力する。これ即ち女の又の力と書いて努力じゃああ。つまり私、異性に対する好き嫌いをなくす修行を続けてまいりましたが、過日ついにその修行も終えました。もはや拙者、免許皆伝でござる」などと傲慢なことをほざいている次第です。


沖縄における人買いは、実は最重要といっていいテーマであるから、また別の機会に詳述することとしますが、私がとても気になるのは、沖縄を愛する文化人の方々、それもある程度の経済力があり、尚且つある程度名の知れた方々は、飛行機なる途中下車さえ満足にできない貧乏な乗り物の貧乏な空港の貧乏なIフウンジで無料で供されるソフトなるドリンクを獣琳してビジネスシートなる意味不明な二等席に座って琉球入りなさるのであろうか、ということなのです。もちろん自分の金、あるいは出版社などの紐付きでビジネスシートに座るのは法的にはなんら問題はない。ケチのつけようがない。けれど倫理的に、いや感情的に問題がある。少なくとも私にとっては、そうである。せめて偉そうな御託宣をたれる前にさりげなく、あるいは居直り気味に明かして慾しいのだ。エコノミー、ビジネス、どちらで沖縄入りするのかを。


私は楽をしたいから殆どの場合、自腹でビジネスに座る。もちろん出版社が出してくれるというなら突っ張らずに世話になる。こんな精神的に貧乏な座席に座っていて、沖縄の底辺あれやこれやなど書く資格がないよな、という自覚のもとに、エコノミーに座る有象無象を目で見て「ああ、五月蝿そうだ、心は貧乏なれど、こっちに座って正解正解」などと胸中で呟いてシートを倒し、沖縄県は那覇空港に降り立つ。問題にしているのは、無意識のうちに、当然のようにビジネスシートに座って沖縄入りして、庶民について語るといったうそ寒いことをしていないか? ということだ。文化人と称する貴方は、いったいどれくらいの羞恥心をもっていらっしゃるのか?ということである。


私はナイーブすぎるのだろうか。無様だろうか。私だって高みから見下ろしてあれやこれやを語りたい。けれど所詮は中卒、肉体労働以外に職業選択の自由がなかった哀れな自尊心である。つまり見おろされる側が長かったので、文章などを書いてチヤホヤされるようになっても、なかなか自然に世界を俯瞰することができないのだ。ゆえに、この文章を書くにあたって偽悪を意識することとした。美文名文の類はもとより薄味悪い。かといって露悪にまで陥るのも精神的安定を欠いている証左にすぎず、それではせめて偽善を排除しましょうというあたりでまとめあげていくことに決めた。実際にここらあたりまできたら、ですます調にも綻びが見えて、文体が変化してしまった。ま、この程ということなのだ。ひょっとしたら、私がこういったことをいくら認めてもごラウンジ?ビジネス?それがうしたの?訳が分からん!という方がいるかもしれない。それはそれでいっそ清々しいのである。


問題は一読、即座に理解できてしまう輩である。頭だけで理解できてしまうと補足すべきかもしれないが、頭の程良い人はバカと同様に始末におえないのだ。頭の程良い人ときたら、眉間に縦皺を刻んで、どんなに口を酸っぱくして指摘しても、自分が小賢しい阿呆であることに気付かないのだから。沖縄はとてもいいところだ。でも、住んでいる人間は、そうでもない。東京に住んでいる人が大したものでないのと同様に、沖縄の人間も大したものではない。守礼の国のヤクザ者の残酷さは超越的だし、観光客を乗せると遠回りするタクシー運転手も多い。これらは沖縄、日本に限らず世界中で同様の事柄ではないか。アウトローは残酷さで飯を喰い、運転手は遠回りで煙草銭を稼ぐ。沖縄が好きだと身悶えする沖縄に生まれ育った沖縄県民にあれこれ言うつもりはない。郷土愛に微妙なナショナリズムの気配まで絡まって、愛憎が過剰になるのも当然であると思う。ところが沖縄が好きだというよそ者のなかには、なにやら宗教的陶酔を漂わす者さえあって、その熱に寒気を覚えるのは私だけではあるまい。







— posted by wgft at 12:08 pm  

妻子を残して本家に逃げる始末になった。

父親と母親は、結婚した直後は代議士の妾宅がつらなる永田町の裏道、いまの参議院議員会館の裏手から日比谷高校の横を抜ける道のあたりに家を借りていたらしい。その家賃が父親の月給よ旦局かったと、本来なら世間様に対して中しわけなく思うべきところを、むしろ自慢たらしく母親がしゃべったことがある。どうせ、どちらかの親元から出ていたのだろう。


小石川の家の維持費や生活費さえも、親がかりの面が多かったのだろうが、まず一九三九年に母方の祖父、つまり母親の父が死ぬ。一九四二年には父方の祖父、すなわち父親の父が落選して一九四四年に死ぬ。これでいっぺんにハシゴが外れた。


死んだとき祖父には、選挙費用などで当時のカネで八万円の借越勘定が、父親の勤める銀行にあったという。ふつうなら祖父が住んでいた赤坂の借家を引き払い、戦時下の物資不足に乗じて金目のものを売り飛ばし、多少とも借金を圧縮したうえでしっかりした返済計画を立てるべきである。


ところが父親はそうした手をまったく打たなかったばかりか、祖父の晩年に出入りしていた山師の勧めるマンガン鉱山とやらへの投資で一挙に挽回しようとして、傷口を広げてしまった。


なにか起きると夫婦揃ってパニックに陥って打開策など考えられない性格の弱さも、山師が取り入ろうとして持ってくる戦時下では貴重な軍需産業向けルートの食料品の誘惑も、作用したには違いないが、基本的には世間の波風にさらされずに中年まで過ごしてきて、実務的な判断力と処理能力に徹底的に欠けていた甘さが災いしたというほかない。


祖父の死後すぐに手を打ってできる限り返済して誠意を示していれば、祖父が属していた政党とは密接な銀行だったから、ある程度は待ってくれたろう。そのうちに敗戦後の超インフレに助けられて、なんとか収拾できたかもしれない。しかし、なにもしていないのでは催促も厳しくなる。


山師にやられた被害や、空襲で焼けた小石川の家の跡に戦後にバラックを建てたときの出費もある。そうした資金は、銀行員にはあるまじきことにいわゆる町金融に頼ったようで、返済が滞るや否やたちまち強硬な取り立てに会い、差し押さえを食らう羽目になった。


こうなるとパニック癖はいよいよ高じて蟻地獄に堕ちたようなことになる。借金返済の一時しのぎに手当たり次第に借りて、多重債務者になる。もちろん借金は敗戦直後の極端な高金利で幾何級数的に嵩む。


こうした醜態が勤め先に知れていたたまれなくなる。結局自分の力で収拾できず、銀行が指定した債務処理のヴェテランに家屋と土地の権利証と実印と印鑑証明を預け、妻子を残して一人で浜田の本家に逃げる始末になった。


— posted by wgft at 10:52 pm  

アメリカとフランスの比較

図見ると、まず一方では政治的不安定によってフランス政府の中央集権化が進むとともに、中世的分権の性格を持っていた、封建的支配体制の権威が、部分的に崩壊し始めたことが表されている。それと同時に他方では、新しい経済力を獲得した中産階級と農民が、経済的および社会的地位を獲得し始めている。それは中世から近世に向けて、これらの階級が社会的に力を獲得してくる過程であった。


しかし注目すべきことに、厳しい圧制の下にある人民は、無力感に打ちひしがれて欲求不満すら、持つ余裕のないものであるとトラヴィルはいう。これに対して圧制から逃れて社会的な。力を獲得しつつある階級は、客観的条件が改善されるにつれて、むしろ要求水準を高めて欲求不満を増大させるという。フランス革命前のブルジョアと農民とは、まさにこのような状態にあった。


彼らは封建的権威の部分的崩壊という条件の下で、社会的、経済的な力を獲得しながら、なお自らが完全に解放されていないという意識を高めて、欲求不満を高めていった。その結果は諸階級、諸集団間の孤立化と闘争の激化であり、封建的なものは全て革命によって、否定されなければならないという過激なイデオロギーの発生であった。そしてこれらの条件が積み重なって、フランス革命が生じたのである。


もちろんトクヴィルの分析は、このようなフランス社会の研究だけで終るのではない。彼は常にフランスの事例とアメリカの事例とを、比較しながら議論を進める。それはアメリカが、フランスと完全に逆の経過を辿った事例だからである。さて図は、同じ変数が完全に逆の値をとったアメリカ社会の、分析モデルである。すなわちアメリカ国内には、フランスにおける中央集権化の過程とは逆に、地方分権の伝統があり、国民は個々の町における積極的な政治参加を通じて、連邦政府を支えていた。このような伝統を背景に、アメリカには民主主義が根づき、社会の欲求不満の水準は、きわめて低かった。


さらにこのようなアメリカの社会構造は、他方において、種々の国民的権利が実現されていたという事実によって、一層強化されていたのである。そして以上の条件はフランスにおける、諸集団の孤立化と闘争の激化という条件とは逆に、高い政治参加というアメリカの政治文化の特徴となって現れていた。そしてアメリカ社会のこのような構造は、過激なイデオロギーを排するアメリカ人の、穏健でプラグマティゴリカにおける、政治的安定を支えることになったのである。


— posted by wgft at 11:23 am